ベトナム戦争中に米軍が散布した枯葉剤の被害者とされる結合双生児のベトちゃんドクちゃん。
ワールド極限ミステリーで当時の様子や2人の現在について取り上げられました。
そんなベトちゃんドクちゃんの母親は一体どのような方で現在はどう過ごしているのでしょうか。
- ベトちゃんドクちゃんの母親はどんな人?
- ベトちゃんドクちゃんに兄弟はいるの?
- ベトちゃんドクちゃんの出産秘話
ベトちゃんドクちゃんの母親について気になる方に向けて、このような内容でお伝えしていきます。
ベトちゃんドクちゃんの母親①顔画像は?

ベトちゃんドクちゃんの母親の顔画像は公開されているのでしょうか。
メディアに多く取り上げられたベトちゃんドクちゃんですが、母親の顔画像が2023年7月、読売新聞で取り上げられました。

こちらがベトちゃんドクちゃんの母親です。
では、ベトちゃんドクちゃんの母親はどのような人物なのでしょうか。
ベトちゃんドクちゃんの母親②プロフィールは?

ベトちゃんドクちゃんの母親はどのような方なのでしょうか。
- 名前:ラム・ティ・フエ
- 年齢:69歳(2023年現在)
- 出身:北ベトナム
- 職業:農業
ベトちゃんドクちゃんの母親は終戦1年後の1976年、枯葉剤で汚染された地域に移り住み農業を営みました。
フエさんは山中のキャッサバ畑で白っぽい粉をまく米軍機を目撃していました。
その後フエさんは枯葉剤が撒かれた井戸で水を飲んだと言われています。
ベトちゃんドクちゃんの父親はベトナム戦争中に南部で戦い、終戦4年後の1979年に現地へ開拓移住しています。
ベトちゃんドクちゃんの母親はベトちゃんドクちゃんの他にも子供がいたのでしょうか?
ベトちゃんドクちゃんの母親③子供は何人?

ベトちゃんドクちゃんの母親には、ベトちゃんドクちゃんの他にも子供がおり、これまで4人の子どもを出産しています。
- 第1子:長女
- 第2子:性別不詳
- 第3子:ベトちゃん
- 第4子:ドクちゃん
第1子

ベトちゃんドクちゃんの母親は、開拓移住する1979年以前に第一子である長女を出産しています。
長女には外見上何の異常も認められなかったようです。
ご健在であれば現在44歳〜ということになります。
北ベトナムにいた当時に生まれた長女には、外見上何の異常も認められない。
チアーズ
第2子

ベトちゃんドクちゃんの母親の第2子については、性別も生年もわかっていません。
わかっていることは死産だったということだけです。
次の子(生年・性別不詳)は死産だった。
チアーズ
第3子と第4子

ベトちゃんドクちゃんの母親の第3子と第4子として生まれたのがベトちゃんドクちゃんです。
ベトとドクは、第3子と第4子だった。
チアーズ
ベトちゃんドクちゃんは1981年2月25日にベトナム中部高原のコントゥム省サータイで生まれました。
2人は上半身2つが1つの下半身で繋がった結合双生児として産まれました。
肛門も性器も1つを共有した胎児だったのです。
ベトちゃんドクちゃんの母親は2人を出産したときどのような思いだったのでしょう。
ベトちゃんドクちゃんの母親④出産秘話

ベトちゃんドクちゃんが生まれたとき、母親は奇形の異常さに驚き気を失い、助産師も失神したと言われています。
フエさんは、ベトちゃんドクちゃんを産んだ時親戚の一人にこう捲し立てられました。
「化け物が生まれた。川岸に連れて行って燃やしてしまえ」
読売新聞
酷い話ですね。
医師は、母親に「子どもは亡くなった」と告げたと言われていますが、母親は2人をコントゥム病院に預けたまま行方不明となりました。
また父親はベトちゃんドクちゃんの出産には姿を表さず、その後両親は離婚しています。
というのも、戦場に行った人の多くが、『神から罰を受けた』と思っていたので、ベトちゃんドクちゃんの両親も、罪を犯したような気持ちになっていたのかもしれません。
2人は生後18日目に1000km離れたベトナム・東ドイツ交友病院に預けられ献身的に看病されました。
名前を持たなかった2人はこの病院の名前にちなんで「ベト=ベトナム」「ドク=東ドイツ」の名前がつけられました。
ベトちゃんドクちゃんは珍しい赤ちゃんとして有名になり日毎に見に来る人が増えていったと言います。
親であることを名乗ることは出来なかったとしても、もしかするとその中にベトちゃんドクちゃんの両親も混ざっていたのかもしれませんね。
行方をくらませていたベトちゃんドクちゃんの母親ですが、一度だけ2人に会いに来たことがありました。
ベトちゃんドクちゃんの母親⑤再会

ベトちゃんドクちゃんを出産後行方知れずだった母親ですが、2人が7歳のときに再会を果たしています。
もしかすると、ベトちゃんが危険な状態であることが病院を通して母親に伝わっていたのかもしれませんね。
というのも、5歳になったベトちゃんは急性脳症にかかり1986年6月19日に東京で手術が行われました。
しかしベトちゃんには後遺症が残りました。
ベトちゃんドクちゃんは手術から2年後の1988年3月、母親と再開しました。
その後ベトちゃんの容態が悪化し、意識不明の重体となったのです。
このままでは二人の命が危ぶまれる事態に直面し、1988年10月分離手術が行われました。
ベトちゃんドクちゃんの母親の現在は?

ベトちゃんドクちゃんの母親の現在については明らかになっていません。
ご健在であれば、70代くらいではないでしょうか。
行方不明とはいえ分離手術前に2人に会いに来ていることから、ベトちゃんが亡くなったと事も知っているのではないでしょうか。
ベトちゃんの死因についてはこちらの記事でまとめています。
ベトちゃんドクちゃんの現在についてはこちらの記事でまとめています。
よかったらご覧ください。
まとめ|ベトちゃんドクちゃんの母親について

ベトナム戦争中に米軍が散布した枯葉剤の影響でけつごうそうせいじとしてうまれたベトちゃんドクちゃん。
2人の母親はどのような人物だったのでしょうか。
- ベトちゃんドクちゃんの母親は北ベトナム出身で農業を営んでいた
- ベトちゃんドクちゃんの母親は4人の子どもを出産
- ベトちゃんドクちゃんの母親は出産後気を失い行方不明
- ベトちゃんドクちゃんと母親は7歳の時に再会
このような内容でお伝えしてきました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。