ベトナム戦争時に米軍による枯葉剤の散布の影響で、結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」。
ベトナム戦争の犠牲者としても有名で、国際平和ミュージアムに写真も展示されていています。
今回はベトちゃんの死についてまとめた記事となります。
- ベトちゃんがいつ・どこで亡くなったのか
- ベトちゃんの死因となった病気は何か
- ベトちゃんは生前どういった生活を送っていたのか
といった内容をご紹介させて頂きます。

まず、ベトちゃんとドクちゃんについて簡単に触れておきます。
1981年2月25日、下半身が繋がった二重胎児が誕生しました。
その姿の異形さから医師も「子どもは亡くなった」と告げたとも言われています。
そして、さらに母親も行方不明となってしまい、5歳の時に兄のベトちゃんが急性脳症を患ってしまいます。
その後分離手術には成功するものの、最終的にベトちゃんは亡くなってしまいます・・・

それではまずは、双子の兄ベトちゃんが亡くなったのはいつ頃なのか?という点からです。
それでは見ていきましょう。
ベトちゃんはいつ亡くなった?

まず、ベトちゃん2007年10月6日午前1時に亡くなっています。
分離手術後、弟のドクちゃんは幸いな事に徐々に回復しボランティア活動で知り合った女性と結婚しました。

しかし一方でベトちゃんは寝たきりの状態が続いてしまいついに命を落としてしまうのです・・・
26歳という若さでこの世を去ることになったベトちゃん。
そのベトちゃんの死因とはなんだったのでしょうか?
ベトちゃん死因は?

ベトちゃんの死因は腎不全と肺炎の併発でした。
同病院の医師によると、ベトさんは今年4月28日から食欲がなくなり、6月初旬には高熱を出すようになった。ベトさんは肺炎、腎臓衰弱、貧血、脳炎に感染症まで併発、2つの医療チームが24時間体制で治療看護にあたっていた。
VIET JO
腎不全とは腎臓の機能が低下し、老廃物がしっかりと排泄できなくなる状態のことです。
腎不全が進行すると、”肺水腫”や”肺うっ血”などの呼吸困難の状態になることが多いんです。
公表はされていないので詳細は不明ですが、おそらくそういった色々な病気も併発していた可能性もあるのではないでしょうか。

そして当時ベトちゃんとドクちゃんの手術を行うのか否か。
そもそも手術が可能な医療レベルの国も限られる時代の中、手術を行うならどの国で行うのか。
医療レベルだけでなく、時代的な背景もありかなり難しい状況だったようです。
最終的にベトちゃんはどこで亡くなったんでしょうか?
ベトちゃんはどこで亡くなった?

ベトちゃんが亡くなった場所は、ホーチミン市にあるツーズー病院です。
この場所で、ベトちゃんは26年という短い生涯を終えることとなりました・・・
ホーチミン市ツーズー病院は6日、「ベトちゃん、ドクちゃん」として知られる結合双生児の兄グエン・ベトさん(26歳)が同日午前1時半に同病院内で死亡したと明らかにした。
VIET JO
ベトちゃんとドクちゃんの分離手術が行われたのも、このツーズー病院です。
ベトナム人医師70人、日本人医師4人という大規模な医師団で臨んだこの大手術は17時間に及んだんだとか・・・
そして結果、手術は成功しベトちゃんは左足、ドクちゃんには右足がそれぞれ残されました。

しかし、大事な器官(主に生殖器官や肛門など)はドクさんの体に分けられた上、ベトちゃんは脳症の影響で寝たきりの生活となってしいます。
その状態のまま約19年後、ベトちゃんは亡くなってしまいました。
しかし結合双生児の分離手術後、ここまで長生きできたのは世界でも稀なケースだったんだそうです。
それでは、生前のベトちゃんはどんな状態だったんでしょうか?
ベトちゃんの生前は?

ベトちゃんドクちゃんは幼少期どんどん話し方を覚え非常に頭が良く、知能の問題はなかったようです。
幼少期から2人は性格も体力も違いました。
一人は体力がありよく遊んでいつもとても楽しそうに過ごしていました。
そしてもう一人は体力があまりなく、からかわれると怒ったりしていまっした。
ベトちゃんは5歳の時に急性脳症を患い、日本で手術を受けましたが寝たきりの状態となりました。
7歳の時に意識不明の重体となりこのままでは二人の命が危ぶまれる事態に直面し、1988年10月分離手術が行われました。
先述の通り1988年10月4日にホーチミン市立ツーズー病院で分離手術を行ったベトちゃんとドクちゃん。
弟のドクちゃんは障害児学校から中学に入学し、その後中退するも職業学校でコンピュータープログラミング学び、兄のベトちゃんがいるツーズー病院の事務員となりました。
そして2006年12月16日、ドクちゃんはボランティア活動の際に知り合ったテュエンさんと結婚します。
そして結婚後、兄のベトちゃんを引き取り夫婦で介護していました。

しかし、そこから約半年後の2007年4月下旬頃からベトちゃんは食欲がなくなり、6月初旬頃には高熱が続くようになります。
ベトちゃんは肺炎、腎臓衰弱、貧血、脳炎に感染症まで併発し、2つの医療チームが24時間体制で治療看護にあたっていました。
しかし容体が持ち直すことはなく、ベトちゃんは亡くなってしまいます。
ベトちゃんの弟・ドクちゃんの現在は?

兄・ベトちゃんが亡くなった後のドクちゃんは、平和のために多くのボランティア活動を行っています。
また2019年には飲食店をオープンさせています。
日本への感謝を込めて「ドク ニホン」と名付けられたレストランは、日本からの訪問者との交流の場にもしていました。
しかし体調不良と場所代の関係でレストランは1ヶ月で閉店しています。
ベトちゃんドクちゃんの2023年最新情報についてはこちらの記事で詳しくお伝えしています。
よかったらご覧ください。
まとめ|ベトちゃんの死因について

という事で今回は、ベトちゃんの死因や生前の生活、いつ・どこで亡くなったのかと言った内容の記事でした。
- ベトちゃんが亡くなったのは2007年10月6日午前1時。
- ベトちゃんの死因は腎不全と肺炎の併発。
- ベトちゃんが亡くなったのはホーチミン市立ツーズー病院。
- ベトちゃんは分離手術後、ほぼ寝たきりのまま約19年後に死去。
ちなみに2009年10月25日、弟のドクちゃん夫妻はベトちゃんが亡くなったツーズー病院にて双子の男女を出産しました。
ドクちゃんは日本のおかげで今の生活があると感謝しており東日本大震災の時も来日し、被災者と交流していたんですって!

同じ日本人として、日本赤十字社の活躍に誇りを感じますし、ベトちゃんは残念ですがドクちゃんは今も幸せそうでそれは本当良かったですよね!
日本の原爆然り、戦争での悪い歴史は人類の恥としてしっかり記憶に残して2度と同じ過ちを繰り返さないようにしたいですね。