1990年代にブレイクしたお笑いコンビ「松本ハウス」。しかし、ハウス加賀谷さんの病気が悪化したことにより、1999年には突如テレビから姿を消しました。
そんな松本ハウスについて解説していきます。
この記事で分かることはこちらです↓
- ハウス加賀谷の病気の真相
- 松本ハウスがデビューからブレイクするまで
- 松本ハウスの現在の活動について
若い頃(昔)の松本ハウス|ブレイク時
松本ハウスは、1990年代に放送された『タモリのボキャブラ天国』で大ブレイクしました。また『電波少年』などのテレビ番組に出演し活躍していました。
若い頃(昔)の松本ハウス|ブレイクしたネタ
ハウス加賀谷さんが独自のポーズを決めながら「か・が・や・でーっす!!」という自己紹介が持ちネタです。
このネタの発案者は相方の松本キックさんだったようです。
松本ハウスの当時のネタはこちらです。

若い頃(昔)の松本ハウス|デビューからブレイクまで
1991年にデビューし、ハウス加賀谷さんが入院した1999年まで活動してきた松本ハウスのデビューからブレイクまでについてまとめます。
- 1991年デビュー
- 1990年代中頃「ボキャブラ天国」でブレイク
- 「電波少年シリーズ」に出演
- 1999年、ハウス加賀谷さんの体調不良により突如テレビから姿を消す
「ボキャブラ天国」に出演したことがきっかけでブレイクした松本ハウスは、1990年代にさまざまな番組に出演するようになります。
しかしそんな人気絶頂の中、ハウス加賀谷さんが入院することになりコンビとしての活動ができなくなりました。
若い頃(昔)の松本ハウス|相方の入院
当時人気絶頂だった松本ハウスは、1999年にハウス加賀谷さんの入院がきっかけで突如芸能界から姿を消します。入院はハウス加賀谷さんが抱えていた「統合失調症」の悪化が原因でした。
ハウス加賀谷さんは、閉鎖病棟に7ヶ月入院します。初めの1ヶ月間は24時間監視の一人部屋で過ごしました。また退院後は実家で引きこもりの生活を送っていたようです。
そんな中でも、ハウス加賀谷さんの中には芸人として復帰したいという思いがあったようです。しかし、相方に迷惑をかけたという申し訳なさから復帰したいということを言い出せなかったようです。その結果、2人がまた活動を再開するのはハウス加賀谷さんに入院してから5年後となりました。
そんなハウス加賀谷さんの統合失調症はどんな症状だったのかについて詳しく解説していきます。
ハウス加賀谷の病気のはじまり
統合失調症によって入院することとなった加賀谷さんですが、中学生の頃から病気の片鱗が見られていたようです。
中学生の頃から、誰もいっていないはずなのに「臭い」という声(幻聴)が聞こえるようになりました。これを自己臭恐怖というそうですが、そのために思春期精神科のクリニックに通院していました。でも、毎回、「これを飲みなさい」とお薬を出されるだけで病名を教えてもらったことはありませんでしたね。
中学生の頃の「臭い」という幻聴が統合失調症の発症だったのではないかと加賀谷さんは語っています。
精神科の先生からすると、思春期という多感な時期に病名を伝えてしまうと重く捉えてしまうことを心配し、あえて病名を本人には告げなかったようです。
コンビとしての病気との向き合い方
松本キックさんと出会った頃は、ハウス加賀谷さんは病気のことは明らかにしていませんでした。しかし、薬をのんでいることがバレてしまってからは、トークでも病気のことをネタにして昇華するようになります。
お客さんに笑って受け入れてもらえたときにはホッとして、「ここが自分の居場所だ」って思いました。
ハウス加賀谷さんも病気のことをネタにできるようになったことで、気が軽くなったと話していました。
多忙による病気の悪化
テレビ番組のレギュラー出演など、ひっぱりだこだった松本ハウス。そんな時、ハウス加賀谷さんは薬を飲まなくてももう大丈夫だと考えるようになります。
その頃は主治医の指示をまったく守っていませんでしたね。本当は決められた種類・量を飲まなくてはいけなかったのに「今日はコレとコレを飲もう」というように勝手にチョイスしていましたから。当時、基本的に薬は飲みたくなかったんです。だから飲まなくても調子がいいと感じたりすると、「薬なんて飲まなくても大丈夫なんだ」と思い込んでいました。
当時の松本ハウスは大ブレイクしていたこともあり、夜中に仕事があったり寝ない日があったりと生活リズムが崩れていたことも原因だったと加賀谷さんは話していました。
統合失調症の治療目的は症状をコントロールしながら自分らしい生活を送ることと言われています。現在、加賀谷さんは新しく発売された抗精神病薬と出会い、症状が大きく改善したようです。
若い頃(昔)の松本ハウス|ピン芸人として活動
松本ハウスは、ハウス加賀谷さんの入院や体調不良が原因で活動中止となります。そのあと、松本キックさんはピン芸人として活動することになります。
ピン芸人となった松本キックさんは、お笑い芸人だけでなく俳優としても活動されました。また、格闘技関連のコラムなども執筆されていました。
2007年には、舞台役者としての活動に専念するため、当時所属していた大川興業から籍を外すことになりました。
若い頃(昔)の松本ハウス|相方復帰後の活動
ハウス加賀谷さんが復帰してからの松本ハウスについて詳しく紹介していきます。
復帰後3年間は混沌とした状態が続く
2009年にはハウス加賀谷さんが復帰し、コンビ活動を再開します。しかし、当時のハウス加賀谷さんは完璧と言える状態ではなかったため、復帰後3年間は混沌とした状態が続いたようです。
復活した加賀谷は、ネタを覚えようとするも思うようにできず「1ヶ月真剣に取り組んでも覚えられなかった。ネタをやるのが嫌だった」と振り返り、松本も「(当時の相方は)記憶力の低下でネタが覚えられない。あと言葉に感情がのっていなかった。舞台で間違えるとテンパッてしまう。放送事故ならぬ漫才事故だった。
自分が思い描いたお笑いができず、加賀谷は自分を責め、葛藤し、裸足で家を飛び出したこともあったという。加賀谷は「復活したけど、復活前の自分ではなくなった」と語った。
復帰した当時はコンビとしても辛い時期だったようで、一度だけ解散を考えたことがあると2人は語っていました。
また松本は、加賀谷が復活するまでピンで活動しており「一人の自由さも知っているので、一人のほうが楽なんじゃないかと。お互いに口にはしていないけど、解散を意識したことがあった。僕は1度だけ」と解散も視野に入っていたことを告白した。
バリバラに出演
復帰後3年間はコンビとしても辛い時期を経験した松本ハウスですが、現在は病気のことやこれまでの体験を包み隠さず発信することで活躍の場を広げています。
2011年にはNHKの『バリバラ』という障害者のための情報バラエティに出演しました。松本ハウスが出演した時の番組テーマは「統合失調症」。
番組の内容はハウス加賀谷の病気について取り上げられていました。また自身の体験を包み隠さず明かしたハウス加賀谷の姿に大きな反響がありました。
『バリバラ』に出演した理由としてハウス加賀谷さんは、
障害者のイメージを柔らかくできたら
という思いがあったようです。
本を出版
『相方は、統合失調症』『統合失調症がやってきた』という本で、コンビとして統合失調症に向き合ってきた体験を本に綴っています。
また、松本ハウスの2人の現在についてはこちらの記事で詳しくまとめています。

まとめ|若い頃(昔)の松本ハウスについて
自身の統合失調症で苦しんだ体験を発信することで新たな活躍の場を広げる松本ハウス。
統合失調症は100人に1人がなる病気と言われていて実は珍しい病気ではないんです。
だからこそ、自身の体験を発信していくことで病気へのイメージを軽くできればと松本ハウスのお2人は考えているそうです。
そんな松本ハウスのこれからの活躍にも期待したいですね!