日本のフェンシング選手である宮脇花綸さんは、笑顔が愛らしく美しいアスリートして人気があります。
試合成績も素晴らしく、まだまだ成長著しい宮脇花綸さんですが、学生時代も気になりますよね。
どんな高校に通ってたんだろう?当時の写真ってあるのかな?
そう思った方はぜひ、チェックしてみてくださいね。
今回は
- 宮脇花綸の出身高校
- 宮脇花綸の高校の制服姿
- 高校時代の卒アル画像
- 高校時代のエピソード
のテーマに分けてみていきます。
宮脇花綸の出身高校はどこ?

では、さっそく宮脇花綸さんの出身高校について見ていきましょう。
宮脇花綸さんは東京都にある、慶応義塾女子高等学校の出身です。
1950年(昭和25年)に設立で、私立の女子校です。
コースは普通科のみで、ここ数年の学力レベルとしては偏差値76〜77をキープしていて、かなり難易度が高いことがわかりますね。
スポーツだけでなく勉強も得意なんてさすがですね!
宮脇花綸さんの高校生活は?
そして、宮脇花綸さんは社会人になる際、自身の分析として「集団行動力」「計画力」「コミュニケーション力」を、フェンシングの活動を通して手に入れたと伝えています。
「計画力」 は、学生時代から長期海外遠征を送りながら、学業との文武両道をはかるために身につけました。物事に優先順位をつけ効率よ く動くことで、限られた時間の中で目標を達成できるようになりました。
就職支援希望アスリート「エントリーシート」
特に「行動力」に関しては、意識していたようですね。
学生時代の一部である高校時代でもきっと、文武両道を目指しながら生活していたと思います。

慶應義塾女子高等学校は留学制度が充実していて、国際交流も盛んなので宮脇花綸さんにとってメリットだったかもしれません。
「コミュニケーション力」は、主に外国人コーチと競技 者として向き合う中で培ってきました。言葉も文化も異なる存在に対して、相手の主張を聞きながらも自分の意思をしっかりと伝え る力は、私自身が人として最も成長した部分だと自負しています。これにより理解と信頼が深まり、時に意見が対立する際も互いを尊重した上で建設的な議論を重ね、より良い選択肢を見つけ出せるようになりました。
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競技におけるコミュニケーションの基礎は高校時代にあったかもしれませんね。
慶応義塾女子高等学校での学びや経験が、宮脇花綸さんの競技生活において活かされているといいです。
宮脇花綸さんの進学先

宮脇花綸さんは、慶応義塾女子高等学校から慶応義塾大学経済学部へと進学しています。
数学や理科が得意だったので進学先を理系にするか迷ったようですが、、最終的には競技にあてる時間を優先して学部を選んだみたいですよ。
宮脇花綸さんの出身高校の有名人は?

宮脇花綸さんの出身校である慶應義塾女子高等学校は多くの卒業生を輩出していますが、その中でも特に有名な方を少しご紹介します。
向井千秋さん

日本人女性初の宇宙飛行士ですね。
「初」というのは、どんな事でも大変素晴らしいものです!
勝間和代さん

経済評論家です。ハッキリとした物言いが、印象的ですね。
弘中綾香さん

テレビ朝日のアナウンサーです。バラエティ番組にも多数出演し、親しみが持てますね。
芦田愛菜さん

女優でタレントのご存じ、芦田愛菜“ちゃん“です。子役の頃からTVで見ているのでイメージが子供のままですが、もう立派な女性になりました。
どの方も立派な方ばかりでしたね。
自立した女性を象徴するような、卒業生&在校生でした。
宮脇花綸さんの高校時代の制服姿は?

残念ながら宮脇花綸さんの制服姿は公表されていませんでした。
こちらは、宮脇花綸さんが通っていた慶応義塾女子高等学校の制服です。
授業中はこんな感じなんですね。
紺色の上着と白色のシャツは、色の相性もよく可愛くて品もあります。

校舎の外だと、グレーのブレザーを着用していますね。
室内で着ていた紺色の上着は見えませんが、白シャツが首元から見えています。
白色が入ると爽やかで清潔感があります。
宮脇花綸さんの中学時代の制服姿

宮脇花綸さんは、東洋英和女学院小学部、中学部を卒業しています。
中等部も高等部もこの制服もこの制服です。
そのまま高等部に進学していたらこの制服を着ていた事になります。
セーラー服に赤いリボンが、大人っぽさもあって可愛いですね
高校時代の卒アル画像

宮脇花綸さんの卒アル画像もきっとかわいらしいのでしょうね。
しかし宮脇花綸さんの卒アル画像は公開されていませんでした。
しかし赤ちゃんの頃から25歳になるまでの写真がありますので成長記録を見てみましょう!

赤ちゃんの宮脇花綸さん。哺乳瓶をよく投げてたみたいですよ。

小学校に入る前の宮脇花綸さんでしょうか。
笹の葉があるので、七夕の時期ですかね。

小学生の宮脇花綸さんです。
写真からは分からないのですが、クリスマスの時期なんです。

フェンシングを始めた宮脇花綸さん。
沼津合宿での写真です。もうキレイなお顔が仕上がってます。

2月4日が誕生日です。大人になりましたね。
数枚ではありましたが、宮脇花綸さんが大人になっていく成長が見れました。
高校の頃もきっと楽しく、充実した日々を過ごされた事と思います。
高校時代のエピソード

宮脇花綸さんは高校1年の時に太田雄貴選手(日本人初のフェンシング銀メダリスト)と話した事がきっかけで、本格的にオリンピックを目指す事を決めたといいます。
高校1年の冬に北京オリンピック銀メダリストの太田雄貴選手に出会ったことが宮脇さんの人生を大きく変えた。それまではオリンピックは遠い話だと思っていたうえ、フェンシング選手として生きると断言することが怖かったという。しかし、オリンピックに行くという前提で太田選手に話をされたことによって意識が変わり、オリンピックを本気で目指すようになった。
慶応塾生新聞 ONLINE
その翌年からシニア日本代表に定着し、たくさんの経験や成績を残していきます。
- 2013年 ヨーロッパ:カデ、サーキット 優勝
- 2014年 世界選手権 初出場
- 2014年 ジュニアワールドカップ 3位
高校生の間だけでこんな実績を上げているなんてすごいですね!
高校時代、学校生活の思い出もあると思いますが、やはり競技生活に関する思い出もたくさんありそうですね。
まとめ|宮脇花綸の高校時代もかわいい?慶応女子の制服画像や卒アル写真は?
宮脇花綸さんの高校や服装など、写真多めでお伝えしてきました。
- 宮脇花綸さんの高校時代の制服姿は公開されていません
- 宮脇花綸さんの高校時代の卒アル写真は公開されていません
- 太田雄貴選手と話した事で、オリンピックを目指すきっかけになった
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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