元ごぼうの党代表の奥野卓志さんがRIZINでの花束投げ捨てで注目されています。
これがきっかけとなり6月に立ち上げた『ごぼうの党』代表を降りることがわかりました。
花束を足元に投げ捨てるなんて育ちが悪い!
どんなふうに育てられてきたの!?
ということで、
- 奥野卓志の生い立ち
- 奥野卓志の学歴
- 奥野卓志のファッションは何の影響か
これらについてお伝えしてまいります!
奥野卓志の生い立ちは?

花束を足元に投げ捨てた奥野卓志さんの生い立ちが気になります。
どんな両親から生まれ、どのように育てられてきたのでしょうか。
- 奥野卓志とは
- 奥野卓志の両親
- 奥野卓志の幼少期
奥野卓志とは?

1974年4月8日生まれの奥野卓志さん。
20代で起業し、今では14社の会社を経営する実業家です。
2022年6月に立ち上がった『ごぼうの党』の代表でしたが、RIZINの花束投げ捨てで辞任しました。
【名前】奥野卓志(おくの たかし)
【生年月日】1974年4月8日
【年齢】48歳(2022年9月現在)
【出身地】高知県
【血液型】不明
【身長】185cm
【体重】不明
出身地は高知県と言われていますが、神奈川県川崎市に住んでいたようです。
家は神奈川県川崎市でしたが、当時の川崎は法律がなかったので😂
引用:Instagram
奥野卓志の両親は?

奥野卓志さんの両親については公開されていませんでした。
しかし曽祖父が「土佐の交通王」と呼ばれた野村茂久馬氏です。
野村茂久馬氏は高知県安芸郡生まれの実業家で、吉田茂氏を支えていた人物です。
高知城に銅像が建っているんですよ。その銅像の中に野村茂久馬っていう銅像が建っている。その人が僕のひいおじいちゃん
引用:奥野卓志さんが表に出てきた理由

高知県では銅像が立つほど有名人ですので、地元の名士と言ったところだったのではないでしょうか。
奥野卓志の幼少期は?

奥野卓志さんは幼少期について明らかにしていません。
しかし奥野卓志さんは吉田茂氏を支えた高知の由緒ある家柄の出身であることがわかりました。
恵まれた環境に育ち、ちゃんとした躾や教育を受けてきたと思います。
今回の非紳士的な行為は、演出だったのでしょうか。
奥野卓志の学歴は?

奥野卓志さんの幼少期については明らかになっておりませんが、どういった学生生活を送られてきたのでしょうか。
- 奥野卓志の小学
- 奥野卓志の高校
- 奥野卓志の大学
奥野卓志の小学校と中学校

奥野卓志さんの出身小学校と中学校については明らかになっていません。
しかし奥野卓志さんは高校時代の家は神奈川県川崎市にあったと言っていますし、高校受験をしていることがInstagramでわかっているので、小学校と中学校は公立に通っていたと考えられます。
川崎市には50校以上の市立中学校があり特定にいたりませんでした。
奥野卓志の出身高校は?

奥野卓志さんが入学した高校は中央大学付属高等学校です。
Instagramでは学校名を隠していますが、間違いないでしょう。
私は高校受験において慶○義塾(日吉)と早○院(早○田大学高等学院)も一次試験はパスして青○、立○含めて受けた学校は全て受かりましたが仲の良い友達と中○大学附属高校に入学しました
引用:Instagram
その他にも
- 慶應義塾高等学校(74)
- 早稲田大学高等学院(75)
- 青山学院高等学校(72)
- 立教池袋高等学校(72)
仲の良い友達と同じ学校を選んだということですが中央大学付属高等学校も偏差値68とかなり難関校であることがわかります。
高校を退学した奥野卓志

中央大学附属高等学校に入学した奥野卓志さんは、1学期は普通に試験を受けていました。
しかし日本の学校の教育に疑問をいだいた奥野卓志さんは2学期からは白紙で提出し、裏にみっちり白紙で提出した理由を書いていたそうです。
こんな調子だったのでいつまでたっても二年生に進学することが出来ず退学となり、日本で下から二番目の高校に編入しました。
最後に辿り着いたのは、日本の全ての高校で偏差値が下から二番目の高校でした
引用:Instagram
全国で下から2番目の偏差値の高校がどこかはわかっていません。
しかし、紫色の特攻服を着て車で通学できる学校だったようです。
紫色の特攻服を着た生徒が先生の駐車スペースに勝手にセドリックを停めているような高校でした😂
引用:Instagram
流石に、今では変わっているかもしれませんね。
奥野卓志の大学は?

奥野卓志さんがどこの大学に進学したのかは明らかになっていません。
しかし、高校一年生の一学期以降、日本の学校教育に拒否反応を示していた奥野卓志さんですから、大学には進学しなかったのかもしれません。
詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値教育と言われる教育制度も1970年代から始まった愚民化政策の一環と言われています
引用:Instagram
奥野卓志の奇抜なスタイルはいつから?

奥野卓志さんは『ごぼうの党』で出てきたときから奇抜な格好でしたが、独特なファッションセンスはいつからなのでしょうか。
高校を退学になった後に編入した学校について奥野卓志さんはこのように語っています。
紫色の特攻服を着た生徒が先生の駐車スペースに勝手にセドリックを停めているような高校でした😂
引用:Instagram
また、奥野卓志さんが育った川崎市については、
家は神奈川県川崎市でしたが、当時の川崎は法律がなかったので😂
北斗の拳さながらの世界で、自分の身は自分で守る必要があったのでベンチプレスで120kgレッグプレスマシンで300kg近く挙げてました
引用:Instagram
ここに書いてあるように、自分の身は自分で守らなければどうにかなってしまうような環境だったため、「近寄るんじゃねぇ」というアピールでそのような奇抜なファッションになっていったのかもしれませんね。
まとめ|奥野卓志の生い立ちや学歴は?由緒ある家柄出身で偏差値70以上の天才がどうしてこうなった?

メイウェザーの花束投げ捨てで、かっこ悪すぎる醜態を全世界に見せつけてしまった奥野卓志さん。
どんな生い立ちなのか気になったのでお伝えしました。
- 奥野卓志の生い立ちは、高知県の名家出身
- 奥野卓志は中央大学附属高等学校に入学するも日本の学校教育に疑問を感じ退学
- 奥野卓志のファッションは治安が悪かった時代に身を守るため攻めたファッションをするようになった可能性がある
これらについてお伝えしてきました。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
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