「幸福の科学」創設者の大川隆法さんの妻である大川紫央さん。
美しい美貌だけでなく、とても優秀ですごい経歴の持ち主であることがわかりました!
次期総裁との噂もある大川紫央さんの経歴についてお伝えします。
- 大川紫央の出身地
- 大川紫央の経歴
- 大川紫央の学歴
これまでの大川紫央さんの経歴を詳しくお伝えしてきます。
大川紫央の経歴

大川紫央さんの経歴はこちらです!
1985年 誕生
2004年 高校卒業
2008年 早稲田大学法学部卒業
2008年 日本銀行に入行
2009年 幸福の科学に奉職
2012年 大川隆法総裁と結婚
2016年 出版デビュー
2023年 二代目総裁?
1つずつ詳しく見ていきましょう!
大川紫央の経歴①誕生

1985年、大川紫央さんが誕生します。
生年月日:1985年9月22日
出身地:徳島県美馬市脇町
旧姓:近藤
旧姓は近藤紫央さんでした。
おそらく、徳島県美馬市脇町の地元の小学校中学校を卒業し、高校に進学します。
大川紫央の経歴②高校進学

大川紫央さんが高校に入学したのは2001年のこと。
徳島県の進学校である
徳島県立脇町高等学校
に進学したと予想します。
高校時代については記事下の『学歴』で詳しくお伝えします。
大川紫央の経歴③大学進学

2004年に高校を卒業した大川紫央さんは、徳島県を離れ東京にある早稲田大学へ進学します。
大学は言わずと知れた私立の難関校の
早稲田大学法学部
詳しくは記事下の『学歴』でお伝えします!
大川紫央の経歴④就職

早稲田大学卒業後の、2008年4月から
日本銀行へ入行
日本銀行への就職難易度は「超難関」と言われており、採用倍率は約151倍〜171倍と言われています。(リクナビ2022参照)
採用された大川紫央さんはかなりのエリートであることがわかります。
大川紫央の経歴⑤「幸福の科学」に奉職

就職した翌年(2009年)には安定したエリートの職を捨て、
「幸福の科学」に奉職
宗務本部第一秘書局長、専務理事等を歴任し、現在では総裁補佐を務めています。
大川紫央の経歴⑥結婚

奉職してから3年後、
2012年11月13日 大川隆法総裁と結婚
「幸福の科学」へ奉職してからわずか3年で創始者の大川隆法総裁と結婚をするとは、美貌と優秀さだけではなく、強い運も持ち合わせているようですね!
しかし、大川隆法総裁には前妻・木村恭子さんがいらっしゃいました。
前妻との離婚理由

大川紫央さんが結婚した、大川隆法総裁には20年連れ添った妻がおり、前妻との間には5人の子供がいます。
子どもについてのこちらの記事で詳しくお伝えしています。
離婚理由は、大川隆法総裁の女性関係だったと週刊誌が報じていました。
報道では、大川隆法総裁がとある女性秘書を寵愛しており、その女性を『過去世では妻だった』とまで言っていたようです。
その、女性秘書というのが、奉職後宗務本部第一秘書局長を務めた大川紫央さんなのではないでしょうか。
前妻との離婚は2年間の泥沼裁判の後、2012年11月に離婚が成立しました。
そして同年11月13日に結婚されたということですから、大忙しだったようですね。
大川紫央の経歴⑦処女出版

大川紫央さんは2016年、出版デビューを果たしています。
これまで28冊の紙の本を出版し、映画の企画も担当しています。
大川紫央の経歴⑧「幸福の科学」総裁

2023年3月2日、夫である大川隆法総裁がお亡くなりになりました。
大川隆法総裁の子ども達の中には、現在教団の意思決定に関わっている方はいないようで、
「幸福の科学」2代目総裁は 大川紫央
となるのではないかと噂されています。
大川紫央の学歴

大川紫央の学歴については、こちらで詳しくお伝えしています。
まとめ|大川紫央の経歴について

「幸福の科学」創始者である大川隆法総裁に見初められた大川紫央さん。
優秀な方ということもわかりましたが、かなりのエリートであることがわかりました。
- 大川紫央さんは早稲田大学法学部出身
- 大川紫央さんは就職超難関の日本銀行に就職
- 大川紫央さんは日本銀行採用翌年に「空腹の科学」へ奉職
- 大川紫央さんは「幸福の科学」で宗務本部第一秘書局長、専務理事等を歴任し、現在では総裁補佐
- 現在、創始者・大川隆法総裁が亡くなり大川紫央さんが2代目総裁と噂されています。
最後までご覧いただきましてありいがとうございました。
コメント