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大谷翔平の父親の職業は?夢はプロ野球選手で現在はチームの監督!

大谷翔平父親の職業 人物

 

2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表のエース兼打者として大活躍した大谷翔平さん。

WBC史上初の2部門(投手部門・指名打者部門)でオールWBCチームに選ばれ、MVPを受賞しました。

世界中が認める実力と、愛されキャラ、人間的な礼儀正しさで称賛されていますよね。

そんな最前線で活躍する大谷翔平さんの父親ってどんな人なの?と気になる方は多いのではないでしょうか?

そこで今回は、

  • 大谷翔平の父親の職業が知りたい!
  • プロ野球選手を目指してたって本当?
  • 現在は何の仕事をしているの?

などについて深堀りしていきます!

 

大谷翔平の父親の職業|夢はプロ野球選手

大谷翔平父親の職業

大谷翔平さんの父親は大谷徹さん

1962年に岩手県北上市和賀町で生まれ育ちました。

高校時代の夢は、プロ野球選手になること

中学校時代、父親(大谷翔平さんの祖父)の勧めで野球部へ入部、と思いきや初めに入部したのは陸上部でした。

その理由は、『坊主頭になるのがどうしても嫌だったから』だそう。

ただ、陸上競技の個人の優劣がはっきりとついてしまうことがどうしても合わなかったようで、中学2年の途中から父親(大谷翔平さんの祖父)に背中を押され野球部に転部しました。

陸上部では三種競技(100m走・砲丸投げ・走高跳)で県大会入賞という好成績!

野球部へ転部した後もその運動能力を発揮し、エースで4番打者となり大活躍します。

県内の野球強豪高校から注目を浴びることになりました。

高校時代は甲子園出場を目指す

大谷翔平父親の職業

高校進学は野球を中心に考えていた大谷徹さんは、私学の名門校も選択肢に入れていたそう。

しかし、野球の強豪で過去に甲子園の出場経験があったという『岩手県立黒沢尻工業高校』に進学します。

中学校での野球経験を活かし、甲子園を目指すことに!

1・3・5番打者としてプレーに励んできましたが、高校3年生の夏の県大会で森岡一高相手に敗北

夢に見た甲子園出場は、叶わぬ結果となってしまいました。

この結果は大谷徹さんの精神に相当なダメージがあったそうで、野球自体が嫌になり、距離を置きたくなった程だったんだとか。

大谷翔平の父親の職業|野球部のある会社へ就職

大谷翔平父親の職業

高校時代のダメージを背負ったまま就職活動をしていたという大谷徹さん。

「このまま野球を諦める・・・」

誰もがそう感じ始めていた時でした。

大谷徹さんに「10月とか11月になると、また野球をやりたくなってしまう」と心境の変化が!

やはり野球を諦めきれず、学生時代からの『プロ野球選手』という夢を叶えるため、高校卒業後は三菱重工業株式会社に入社。

社会人野球の『三菱重工横浜』で社会人野球選手(外野手)に入団しました。

しかし、以前から肩を故障していたことで出場の機会には恵まれず。

監督からの突然の戦力外通告

大谷翔平父親の職業

入団6年目の24歳のとき、大谷徹さんの野球人生を大きく揺るがす出来事が起きます。

突然監督からの呼び出し、そしてこの一言が。

来季はお前を戦力として使うつもりはない

まさかの戦力外通告

まだ若く、「後輩たちを引っ張っていくリーダーになりたい」と決意を胸に抱いていた大谷徹さんは、悲しみよりも怒りが込み上げてきたんだそうです。

わかりました

こうして大谷徹さんの野球人生は、幕を下ろしました。

大谷翔平の父親の職業|戦力外通告後の仕事

大谷翔平父親の職業

当時の監督から戦力外通告を言い渡されてしまった大谷徹さん。

その後は何の仕事をしているのでしょうか?

システムエンジニア

野球部所属時代は、野球をメインにした生活だったため、業務時間は午前中だけだったようです。

野球部を引退後はエンジニアをしながら毎日コンピューターの勉強に励んでいました。

そんな中、現在の奥様であり同じ三菱重工横浜製作所に勤務していた加代子さんと出会い結婚されました。

大谷翔平の父親の職業|実家の近くへ転職

大谷翔平父親の職業

現在の妻・加代子さんと結婚しその後、長男である大谷龍太さんが誕生。

そのタイミングで、岩手県に工場を建設予定だった自動車ボディーメーカー(のちのトヨタ自動車東日本)に転職しました。

そして長女の大谷(現:流石)結香さんが誕生したことによって岩手県の奥州市に移住。

転職先であるトヨタ自動車東日本では、車体を製造するライン作業をする傍ら少年野球チームの監督も兼任していたとのことです。

大谷翔平の父親の職業|野球監督

大谷翔平父親の職業

大谷徹さんは現在、リトルシニアの監督に専念しています。

これまでの経歴がこちら。

【2002年】
『水沢リトル』でチームのコーチを務め、のちに監督になる

【2007年】
『一関リトルシニア』に移り、チームのコーチを務める

【2014年】
自らが立ち上げた『金ヶ崎リトルシニア』で監督を務めている

【2016年】
トヨタ自動車東日本を退社し、『金ヶ崎リトルシニア』での監督業に専念

トヨタ自動車東日本の製造ラインの仕事は2交代制で、長男の龍太さんには野球を満足に教えてあげられなかったそうです。

なので、せめて次男の大谷翔平さんには本気で野球を教えたい!ということで2016年にトヨタ自動車東日本を退社。

その後、大谷翔平さんが所属していた少年野球チームの監督として指導に当たるようになりました。

まとめ|大谷翔平の父親の職業について

大谷翔平父親の職業

今回は、大谷翔平さんの父親である大谷徹さんのお仕事について深堀しました。

  • 中学校時代は甲子園を目指す
  • 高校時代・社会人になってプロ野球選手を目標にしていた

ということなどが分かりました。

『選手に怪我はつきもの』とは言いますが、肩を壊し戦力外通告を受けは当時のショックは想像を絶するものだったでしょう。

ですが現在も、野球監督として指導に当たっています。

これからも、大谷翔平さんの生みの親である大谷徹さんをに注目し、応援していきたいですね!

最後までご覧いただきありがとうございました。


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