全国制覇を目指す日本航空バレー部の月岡裕二監督(54)が、選手に対し、暴行を行っていた動画が流出しました。
被害部員は月岡裕二監督をかばい、「膀胱の事実はない」と答えており、「あったといえばありました。気合を入れてもらって、僕はそんなに嫌な思いはしていません」と答えていると言います。
月岡裕二さんは監督に就任し25年のベテラン監督です。
一体どんな方なのでしょうか?
- 月岡裕二の顔画像やプロフィール
- 月岡裕二の経歴
- 月岡裕二の嫁や子供などの家族構成
このような内容でお伝えしていきます。
日本航空高校バレー部監督・月岡裕二の顔画像は?

日本航空高校バレー部の月岡裕二監督(54)の顔画像がこちらです。
月岡監督のプロフィールも見てみましょう!
日本航空高校バレー部監督・月岡裕二のプロフィール

- 名前:月岡 裕二(つきおか ゆうじ)
- 生年月日:1968年4月28日
- 出身地:神奈川県川崎市
- 身長:185cm
- 血液型:AB型
日本航空高校バレー部監督・月岡裕二の家族は?

月岡裕二さんが結婚されているのかどうか詳しいことは公開されていません。
また、月岡裕二さんのSNSなども特定されておらず、家族の写真などを確認することもできませんでした。
日本航空高校バレー部監督・月岡裕二の経歴は?

1984年3月 川崎市立生田中学卒業
1987年3月 藤沢商業高等学校卒業
1991年3月 明治大学卒業
1998年3月 サントリー退社
1998年3月 日本航空高校バレー部監督に就任
中学時代の月岡裕二
月岡裕二さんは、地元川崎市にある生田中学校に入学します。
月岡裕二さんはこの時既に身長が170cmを超えていたと言います。
生田中学校のバレー部は全国レベルの強豪ですが、月岡裕二さんはバレー部ではなバスケ部に入部します。
何度かバレー部の羽田野義博監督に誘われていましたが、2年の夏にバレー部への入部を決意しました。
そして3年の時にはエースとして全国大会で好成績を修めています。
高校時代の月岡裕二
高校は藤沢商高(現・藤沢翔陵)に進学した月岡裕二さん。
ここでは黒田裕監督から技術を基礎から叩き込まれました。
3年の時は主将を務め、インターハイと春高の2冠を果たしました。
大学時代の月岡裕二
高校卒業後は明治大学に進学した月岡裕二さん。
大学でも主将を務めました。
月岡裕二さんは大学時代に将来は中学生や高校生の指導者になることを意識し始めました。
Vリーグ時代
サントリーサンバーズでプレイします。
サントリーではコーチやアナリストを兼任しながら、7年間プレーしています。
指導者としてサントリーに残る選択肢もありましたが、生まれ育った関東でバレーボールを通して高校生を指導したいという思いから、日本航空に赴任します。
日本航空の監督に就任
1998年、30歳で現役引退をした月岡裕二さんは、すぐに日本航空の監督に就任しました。
2003年に」春高バレー初出場に導くと、2022年の大会まで20年連続で出場を果たしています。
月岡裕二の指導方針
月岡裕二さんが大事にしているのは、
「バレーボールを一(いち)にする」
という言葉です。
どういうことかと言うと、
バレーボールを「一(いち)」にするというのは、バレーボールをすべて優先するということではありません。大好きなバレーボールを「一」番にするためには、気持ちよくこの体育館に来られるような毎日を送る行動をしないといけない。高校生として、日常生活や普段の生活を落ち着いて行なうこと、体育館に来るまでは自分たちの責任だと選手には伝えています。そういった積み重ねでバレーボールを「一」にすることができるのです。
月刊バレーボール
そして、中学時代の羽多野監督からは、技術よりも常に一人の人間としてどうあるべきかを考えさせられた月岡裕二さん。
また、高校時代の黒田裕監督からは技術を基礎から叩き込んでもらいました。
そんな名将2人に育たてられた月丘裕二さんは、2人の監督ならどう指導するだろうと考えるなど、自分の指導者としての原点がこの2人だと話していました。
まとめ|月岡裕二監督について
日本航空高校男子バレー部の月岡裕二監督が、選手に暴行をする動画が明るみになりました。
ここでは、月岡裕二さんについて詳しくお伝えしてきました。
- 月岡裕二は中学2年生からバレーを始める
- その後、高校、大学とバレーに携わり、サントリーサンバーズで7年間プレーし、引退と同時に日本航空に赴任
- 日本航空では25年のベテラン監督
- 月岡裕二の嫁や子供など家族構成は不明
- 月岡裕二の指導方針:バレーボールを「一(いち)にする」
- 常に中学高校時代の監督ならどう指導するかを考えている
という内容でお伝えしてきました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
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