1988年8月〜1989年にかけて、東京都北西部・埼玉県南西部で相次いで発生した幼女連続誘拐殺人事件。
犯人は東京都五日市町(現・あきる野市)小和田に住む宮崎勤(当時26歳)でした。
宮崎勤は、誘拐や殺害のために度々埼玉県飯能市に訪れています。
宮崎勤と埼玉県飯能市とのどのような関わりがあるのでしょうか。
- 宮崎勤が飯能市で起こした事件
- 宮崎勤と飯能市の関係
- 宮崎勤事件現場の現在
宮崎勤事件と飯能市の関係

宮崎勤は4人の女児を次々に誘拐し殺害しています。
一人目は1988年8月22日午後3時過ぎ、埼玉県入間市で誘拐し八王子の山林に連れ込み殺害しています。
その42日後に行われた誘拐以降、宮沢勤は何度も飯能市に訪れていました。
- 誘拐現場
- 犯行現場
- 死体遺棄現場
などに飯能市が使われています。
宮崎勤事件と飯能市①2人目の誘拐現場

2人目の殺害は1人目の殺害からわずか42日後の10月3日。
午後3時ころ、
飯能市立原市場小学校
の傍らで遊んでいた小学1年生の吉沢正美ちゃん(7歳)を誘拐しました。
飯能市立原市場小学校は宮崎勤の自宅から車で50分程度北上した場所です。
融解後は車で新多摩変電所まで走り、さらに歩いて日向峰の山林内に連れ込み殺害しました。
宮崎勤事件と飯能市②3人目の犯行現場

12月9日午後4時頃、埼玉県川越市の自宅団地傍らで遊んでいた幼稚園児難波絵梨花ちゃん(4歳)を誘拐。
秩父市と飯能市の境にある正丸峠付近で絵梨香ちゃんが泣き出したので車を止めたのが、
入間郡名栗村の県立少年自然の家の駐車場
「お風呂に入ろう」と全裸にさせ、女児の写真を撮り殺害しました。
誘拐現場の川越市の団地から飯能市までは車で1時間以上かかります。
宮崎勤事件と飯能市③3人目の遺体遺棄現場

殺害後、車に積んだ死体を捨てようと場所を探していた宮崎勤。
途中山道で車輪を脱輪させ、慌てて遺体を遺棄しました。
その場所が、
名栗村新田の山林内
県立名栗少年自然の家から南東約50mの林の中から遺体が見つかっていることから、この急カーブで脱輪したと考えられます。
宮崎勤事件と飯能市④3人目の遺品遺棄現場

遺体を遺棄した宮崎勤は、
横瀬川河川敷
に衣類や靴などの遺品を遺棄しています。
宮崎勤事件と飯能市⑤4人目の遺体の一部を遺棄

1989年6月6日に東京都江東区で行方不明になった野本綾子ちゃん(5歳)の遺体の一部が見つかった場所も埼玉県飯能市です。
宮崎勤が綾子ちゃんの胴体部分を放置した場所が、
宮沢湖霊園
駐車場内にある公衆トイレ脇です。
宮崎勤は女児の遺体を自室でのこぎりを使ってバラバラに解体し、手首や足首は自宅近くの御岳山に捨て、頭蓋骨は髪の毛を抜き取り、奥多摩の山林に放置しました。
宮崎勤はなぜ飯能市で事件を起こしたのか?

東京都五日市町(現・あきる野市)小和田(こわだ)に住んでいた宮崎勤がなぜこれほど飯能市に執着したのでしょうか。
犯行動機を見ても飯能市を犯行現場に使った理由は明らかになっていません。
宮崎勤事件に使われた飯能市の現在は?

宮崎勤事件から34年経ったた現在、これらの現場は今どういった形になっているのでしょうか。
飯能市立原市場小学校

飯能市立原市場小学校は創立55年を迎えました。
飯能市では黄色いてるてる坊主が民家の軒先にぶら下がっています。
子どもたちの見守り役で緊急時の避難場所としての目印となっているそうです。
名栗少年自然の家

名栗少年自然の家は、現在『県立名栗げんきプラザ』と名前を変えています。
社会教育施設で、豊かな自然とキャンプ場やプラネタリウム施設を生かした体験活動が楽しめます。
名栗村新田の山林

名栗村新田の山林は現在も自然豊かな場所となっています。
周辺はキャンプ場も多く週末はファミリー連れのキャンプ客で賑わっています。
横瀬川河川敷

横瀬川は川遊びができるスポットとして人気です。
宮沢湖霊園

事件後、公衆トイレは撤去され、慰霊碑が建立されています。
まとめ|宮崎勤と飯能市

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などと呼ばれた宮崎勤事件。
埼玉県飯能市を事件の現場として多く使っていました。
- 宮崎勤事件2人目の女児を誘拐した場所が飯能市
- 宮崎勤事件3人目の犯行、遺棄現場となったのが飯能市
- 宮崎勤事件4人目の胴体部分の遺棄現場が飯能市
- 宮崎勤が飯能市を多く訪れた理由は明らかではありません
- 事件現場の現在
こういった内容でお伝えしてきました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
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