安倍晋三元首相銃撃犯の山上徹也容疑者は、母親の統一教会への傾倒が犯行の動機と語っています。
山上徹也容疑者の母親は「息子が大変な事件を起こし、申し訳ない」と謝罪したものの、旧統一教会に入信したことは犯行に関係ないと話しているといいます。
現在は伯父のもとに身を寄せていて、疲労困ぱいで寝ているそうです。
そんな山上徹也容疑者の母親はどんな人なのでしょうか。
この記事では
- 山上徹也容疑者の母親の画像や年齢
- 山上徹也容疑者のこれまで
生い立ち
夫との出会い
宗教に傾倒する経緯
夫、長男、祖父の死
これらをまとめてお伝えしていきます。
山上徹也の母親の画像は?

山上徹也の母親の画像は公開されていませんでした。
どんな方なのかとても気になりますよね。
ご近所の方や世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会員の方でしたらお顔もわかるのかもしれませんが、残念ながら現時点ではネットニュースやSNSへの投稿はありませんでした。
山上徹也の母親の名前や年齢は?

山上徹也容疑者の母親については、名前も年齢も公表されていません。 69歳と公表されました。
母・A子さん(69)が一人で暮らす家へと向かった。
引用:週刊文春
ただ、山上徹也容疑者の年齢が41歳ですので現在70歳前後ではないでしょうか。
山上徹也容疑者(42)は昭和55年生まれで兄と妹がいる第二子です。
昭和55年に第二子出生時の平均年齢は28.7歳だったと言われています。

ですので、この時代の平均的な出産年齢でしたら現在70歳前後だと考えられます。
山上徹也の母親はどんな人?

異様なほどに宗教に傾倒する山上徹也容疑者の母親。
これまでどのような人生を送ってきたのでしょうか。
- 山上徹也容疑者の母親の生い立ち
- 夫との出会い
- 実践倫理宏正会に傾倒する母親
- 夫の自殺
- 長男が大病を患う
- 統一教会へ入信
- 統一教会から5000万円取り返す
- 長男の自殺
- 次男の自殺未遂
をお伝えします。
山上徹也の母親|生い立ち

有名大学を卒業した父親と母親の間に2人姉妹の長女として生まれた山上徹也容疑者の母親。
姉妹は2人とも優秀で有名大学を卒業し、妹は医者になりました。
山上容疑者の母親の実父は奈良市に本社を置く建設会社の社長であり、地元の名士と呼ばれていました。
工事をいくつも受けていて裕福な家庭だったといいます。
「おじいちゃんは小さな建設会社を営んでらしたんだけど、有名大学を出た優秀な方で、大阪の土木関係の下請け団体の会長を務めていました。ゼネコンからトンネル工事をいくつも受けていて昔から景気がよくってね。娘さんは2人とも優秀で、どちらもあの時代に有名大学を卒業しています。徹也くん(山上容疑者)のお母さんはお姉ちゃんで、妹さんは医者になっています」
引用:文春オンライン
山上徹也の母親|夫との出会いは?

山上徹也容疑者の母親が夫と出会ったのは、1970年代末でした。
実父の建築会社に入社した男性とその前後に入籍し、東大阪市内の木造一軒家に居を構えます。
夫は京大卒ということでかなりの高学歴でした。
しかし仕事で外に出ることなく朝からお酒を飲んでいました。
そしてお酒を飲むと暴言を吐く酒乱だったようで、夫から怒りをぶつけられてもずっと耐えていたといいます。
東大阪市時代の山上家を知る女性:「酒飲んで、口調がきつくなる。旦那さんが」「(Q.奥さんはその時どんな感じ?)耐えていた。耐えていた、ずっと。(旦那が)奥さんに、とにかく怒っていた」「(Q.週にどのくらい?)1週間に1回くらいかもしれない」
テレ朝ニュース
この頃はまだ妹は生まれる前で、子どもは兄弟2人でした。
山上徹也容疑者の母親は育児や夫のことでかなり疲れていたようで、実践倫理宏正会に傾倒しはじめます。
実践倫理宏正会に傾倒する母親

山上徹也容疑者の母親は結婚後、実践倫理宏正会(朝起き会)という宗教に傾倒していました。
「朝起き会」というだけあって朝5時に集まって「朝の誓い」を唱和したり子育ての勉強会などをするんです。
子育ての勉強会をすると言っても、子供を放置して出かけてしまうため、母親を探して泣きわめく子供と呆れて何もしない夫とで家庭は壊れていきました。
夫は集会への参加を反対しているので口論になることもしょっちゅう。出かける妻を車で追いかけて交通事故を起こし騒ぎになったこともありました。
「実はお母さんが『朝起(あさおき)会』という宗教にはまっていたんです。子育てをほっぽらかしにしていて、朝の5時とかに出かけてしまうんです。当時、2歳か3歳かの男の子が冬も裸足で家の外に出てきて、泣きながら母親を探してるんですわ。ご主人もなんもせんとね。おしっこやうんちで重くなったおむつをはいているから、半ケツ状態でかわいそうでした」(一家を知る知人)
引用:デイリー新潮
妻が宗教に傾倒し夫が自殺

山上徹也容疑者の母親は実践倫理宏正会に傾倒したことで、夫婦の関係は悪化していきました。
夫が母親を怒鳴りつける声が頻繁に聞こえる異様な家だったといいます。
母親の宗教への傾倒が父親をノイローゼ状態に追い込み、最後は近くのマンションから飛び降りて亡くなってしまいました。
その後一家は奈良市平松にある山上容疑者の祖父(母親の実父)の家に移住しました。
「奥さんが相当宗教に入れ込んでしまったみたいで、旦那さんはノイローゼやったようです。最後は近くのマンションから飛び降りて自殺しはってね、それは近隣で話題になりましたわ。それから1年と経たず、一家は引っ越していかれました」
引用:デイリー新潮
実父の死と長男の大病

夫を亡くした山上徹也容疑者の母親は、奈良市平松にある実父の家に身を寄せ、亡くなった夫に変わり建設会社の取締役に就任し経理を担当します。
東大阪に住んでいた頃には既に長男は小児がんを患っていて、手術もしていました。
片目も失明しており普段の生活にも苦労していたといいます。
「徹也の兄は小児がんを患っていて、手術もしています。片目も失明しており、普段の生活にも苦労していました」
引用:デイリー新潮
しかし、頼りにしていた実父も亡くなってしまい実父が経営していた会社を山上徹也容疑者の母親が引き継ぎました。
その頃から山上容疑者の母親は周囲に「宗教に入りたい」と漏らしていました。
統一教会に入信した山上徹也の母親

山上徹也容疑者の母親は統一教会に入信しました。
かなり熱心な信者となり相続した土地のみならず、親族の土地も無断で売却し統一教会に献金していました。
その結果、入信からわずか2年で破産し裕福な生活から一転、貧しい生活を強いられることとなりました。
この頃は玄関やリビングなど家の至る所に尋常じゃない量の御札が貼ってあって、異常な光景だったんだとか。
熱心に信仰するあまり、子供を置いて何週間も本部のある韓国に滞在することもありました。
ですので日本に残された子どもたちは食事を摂ることもできないひどい状態だったんだとか。
「子供たちはその間、食べるもんがなかったんですよ。だって、母親が日本におらんかったからね。自分は韓国に行き、ずっと放っておいた。ネグレクトどころではない、もっとひどい状態です。兄は病気で自分で食事を作ることもできない。その兄が電話をかけてきて、“食べるものがない”と。お金を持って行ってあげたりしていました。すると、冷蔵庫の中には食料がまるでないんですわ……」
引用:デイリー新潮
子供らは大阪にいる伯父を頼りました。
統一教会から5千万円取り返した

大病を患う兄が叔父に「食べるものがない」と電話をかけました。
悲惨な状態を見た伯父は、山上徹也容疑者ら兄妹の依頼で統一教会から5千万円を取り返しました。
しかしせっかく取り返したお金は、母親がまた寄付してしまったんだとか。
結局母親は1億数千万円を統一教会に献金していたんだとか。
「(山上容疑者は)そりゃあ、統一教会憎しになりますよ。(寄付として家から)持って行かれてしまったのが、1億数千万円はある。私はね、(山上容疑者ら)3人の甥と姪の依頼で統一教会から5千万円を2009年に取り返したんですよ。その時の和解書もある。でも、取り返した金を母親がまた寄付してしまうんです」
引用:デイリー新潮
長男の自殺

山上徹也容疑者の母は宗教に傾倒しネグレクト状態。
大病を患い日々の生活もままならない長男は、自分で食事を作ることもできない状態でした。
そんな特殊な環境に育った山上徹也容疑者の兄は、疲れ果てて自殺に追い込まれてしまいました。
山上徹也の自殺未遂

山上徹也容疑者は幼い頃から勉強が得意で、奈良県屈指の進学校に通っていました。
高校卒業後は家庭の経済状況から大学には進学できず専門学校に通い、その後海上自衛隊に入隊します。
そこで同僚に「親が統一教会に入り、生活が苦しくなっている」と悩みを打ち明けています。
そして、山上徹也容疑者本人も、母親の信仰に悩み自衛隊時代に自殺未遂を起こしています。
そして、派遣会社を転々とし2022年7月8日に奈良市内で安倍晋三元首相の死銃撃事件を起こします。
まとめ|山上徹也の母親の画像や生い立ちは?裕福な生活から宗教に傾倒し家庭崩壊

安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也容疑者の犯行の動機が、母親が傾倒した宗教にあることがわかりました。
破産するほど宗教に傾倒してしまった母親ってどんな人物なのかまとめています。
- 山上徹也容疑者の母親の画像は公開されていませんでした
- 山上徹也容疑者の母親の名前や年齢は公開されていませんが70歳前後だと考えられます
- 山上徹也容疑者の生い立ちは、奈良市に本社がある建設会社の社長令嬢として生まれる
- 本社に入社した京大卒の社員と結婚
- 3人の子供を授かるも実践倫理宏正会に傾倒し夫が自殺
- その後祖父がなくなり会社や土地を手放し全て統一教会に献金
- 大病を患う第一子が自殺
- 次男は自殺未遂
といった壮絶な人生を辿ってきました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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